北海道足寄郡足寄町茂足寄159
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アカエゾマツに注目!
野中温泉の歴史をひもとく
野中祐子さんからの最新情報

【野中温泉の歴史をひもとく】
 阿寒湖に足跡を残した幕末の探検家、松浦武四郎。武四郎が大楽毛(現・釧路市)から阿寒川に沿いに阿寒湖に到達したとき、そこに住むアイヌの人々は阿寒の豊かな自然を慈しみ、自然と共存して暮らしていた。
雌阿寒温泉空撮
オンネトー
雌阿寒岳・山頂の赤沼
 そこに湧く温泉もすでにアイヌの人々は活用していた。野中温泉の創業者である野中増次郎が、足寄町上利別に開拓で入植したのは明治40年のこと。アイヌから温泉の湧出を伝聞した増次郎は、大正2年8月、雌阿寒岳の麓に温泉の湧く場所を発見。すかさず9月には道に温泉と土地の使用許可の申請している。
 熊や鹿が傷を癒したことによってアイヌが湧出を知ったという、この温泉の効能を確信した増次郎は、大正4年5月に浴用鉱泉敷地使用許可を獲得。大正7年にはこの地に自生するアカエゾマツの営林区署から払い下げを受け、木挽の手で製材を行ない、営業施設を完成させる。
 今年101歳となる2代目は、「初代の増次郎は、半分道楽、半分信念で旅館を開業したので、私が農家をして支え大変苦労した」と苦笑いする。いまだに初代の増次郎のことを「馬鹿親父」と呼ぶそうな。
 開湯当時は野中温泉まで道も通じない時代。「上足寄から道なき道を16kmほど歩いた」というから客などそうそういるはずもない。冬の方が客が多かったというのは、効能を聞きつけ、それでもわざわざ湯治にやって来る人がいたということで、地元の人にとってはまさに天国だったに違いない。
 昭和6年に茂足寄〜阿寒間の村道がようやく開通。阿寒国立公園が誕生するのは昭和9年、足寄町が雌阿寒岳の山開きと観光祭りを開くのは戦後のことである。
 あと6年で阿寒の変遷を見守り続けた野中温泉は100周年を迎える。野中増次郎の信念が正しかったことは、野中温泉の宿泊者、入浴客の笑顔をみればよくわかる。
 秘湯という言葉は手垢のついた感があるが、道路の開通した今でも、野中温泉は秘湯であり続けるのは、そんな創業者の歴史を秘めているからだろう。
雌阿寒岳空撮
温泉開拓20年の碑
【野中温泉の歴史】
安政5年
1869
松浦武四郎、阿寒湖に到達
明治31年
1898
阿寒湖に姫鱒採卵場設置
明治33年
1900
岐阜・福井県人13戸、足寄に入植
明治34年
1901
阿寒湖でマリモ発見
明治36年
1903
足寄市街に初めて道路が完成
明治38年
1905
阿寒湖に駅逓設置
明治40年
1907
野中増次郎、足寄町上利別に開拓入村
明治42年
1909
殖民道路、足寄から茂足寄まで完成
明治43年
1910
足寄〜陸別に鉄道開通
明治45年
1912
山浦政吉、阿寒湖で旅館営業開始
大正2年
1913
野中増次郎、野中温泉を発見。使用許可を得る
大正8年
1919
野中温泉竣工、旅館の営業を開始
大正10年
1921
阿寒湖が国立公園の候補地になる
大正12年
1923
足寄森林鉄道開通
大正15年
1926
伊藤バス(現・阿寒バス)が運転を開始
昭和6年
1931
茂足寄〜阿寒間の村道が開通
昭和9年
1934
昭和27年
1952
雌阿寒岳の山開き、第1回観光祭り
昭和35年
1960
民営国民宿舎に登録される
社団法人 日本エコノミ観光旅館連盟 北海道支部
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