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阿寒湖に足跡を残した幕末の探検家、松浦武四郎。武四郎が大楽毛(現・釧路市)から阿寒川に沿いに阿寒湖に到達したとき、そこに住むアイヌの人々は阿寒の豊かな自然を慈しみ、自然と共存して暮らしていた。
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そこに湧く温泉もすでにアイヌの人々は活用していた。野中温泉の創業者である野中増次郎が、足寄町上利別に開拓で入植したのは明治40年のこと。アイヌから温泉の湧出を伝聞した増次郎は、大正2年8月、雌阿寒岳の麓に温泉の湧く場所を発見。すかさず9月には道に温泉と土地の使用許可の申請している。
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熊や鹿が傷を癒したことによってアイヌが湧出を知ったという、この温泉の効能を確信した増次郎は、大正4年5月に浴用鉱泉敷地使用許可を獲得。大正7年にはこの地に自生するアカエゾマツの営林区署から払い下げを受け、木挽の手で製材を行ない、営業施設を完成させる。
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今年101歳となる2代目は、「初代の増次郎は、半分道楽、半分信念で旅館を開業したので、私が農家をして支え大変苦労した」と苦笑いする。いまだに初代の増次郎のことを「馬鹿親父」と呼ぶそうな。
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開湯当時は野中温泉まで道も通じない時代。「上足寄から道なき道を16kmほど歩いた」というから客などそうそういるはずもない。冬の方が客が多かったというのは、効能を聞きつけ、それでもわざわざ湯治にやって来る人がいたということで、地元の人にとってはまさに天国だったに違いない。
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昭和6年に茂足寄〜阿寒間の村道がようやく開通。阿寒国立公園が誕生するのは昭和9年、足寄町が雌阿寒岳の山開きと観光祭りを開くのは戦後のことである。
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あと6年で阿寒の変遷を見守り続けた野中温泉は100周年を迎える。野中増次郎の信念が正しかったことは、野中温泉の宿泊者、入浴客の笑顔をみればよくわかる。
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秘湯という言葉は手垢のついた感があるが、道路の開通した今でも、野中温泉は秘湯であり続けるのは、そんな創業者の歴史を秘めているからだろう。
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